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私の変な質問?

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秀吉は30歳も年下の妻を喜ばせるほど絶倫だった?

 豊臣秀吉とその側室淀君の間には、30歳近い年齢の開きがある。淀君が20歳ごろ、秀吉の側室になったとき、秀吉はすでに50歳になろうとしていた・・・らしい
 バイアグラもない時代、その年齢で20歳の女性を相手にするのは、さぞや大変だったろうと思われる。
 しかし、さすがは秀吉である。彼は淀君のほかに、さらに年若の10代の女性も側室に置いていたというから、その精力には驚かされる。
 ただし、晩年の秀吉は、さすがに衰えを感じていたのか、精力回復効果のある食べ物に強い関心を抱いた。朝鮮侵攻をはじめたころ、朝鮮に渡った島津義弘や加藤清正らに虎の肉を送るように命じたのも、そのためである。当時、虎の肉は精力剤として珍重されていたのだ。
 この指令に対し、島津らは鉄砲で2頭の虎をしとめ、内臓も含めて頭から足まで塩漬けにしたものを送っている。これが、有名な加藤清正の虎退治の伝説のもとになった史実である。
 この塩漬けの虎を食べて、秀吉は精力回復をはかったようだが、虎のほかにも鶴や白鳥といった珍しい鳥も、精力回復のために食べていたようだ。
 秀吉が晩年、なぜ無謀な朝鮮侵攻を行ったかは歴史の謎の一つといわれるが、案外、精力剤を手に入れるという目的もあったかもしれない・・・だと

(こんな記事を読むと、秀吉って、ただのエロジジイだと思われるかも
起たぬなら 起たせてみよう 萎れマラ なんて一句詠んだかも
で、精力のために犠牲になった動物たちに、合掌)
by sikoukairo2 | 2010-06-12 02:40