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私の変な質問?

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大奥をつくった家康の好みの女性のタイプとは?

 「英雄色を好む」というが、江戸幕府を開いた徳川家康も例外ではない。史料でわかるだけでも、二人の正室と15人の側室がいたことが確認されている・・・らしい
 では、家康はどんな女性が好みだったのだろうか?
 家康の側室を見たときに気づくのは、未亡人が多いこと。15人の側室中、少なくとも5人が夫と死別後、家康のもとにきた女性だ。家康には、処女でなければいやだとか、若くなければいやだという好みはなかったようだ。
 側室のなかでも、とくに寵愛を受けたのは阿茶局とお勝である。二人に共通するのは、顔だちよりも、むしろその手腕である。
 まず阿茶局は、夜の相手という役割だけでなく、家康の秘書室長といってもいい役割を長く果たした。大阪冬の陣のときなど、大阪方との和議の成立にひと役買ったくらいである。
 また、大奥を率いて、老中たちとも五分に渡り合った。大奥がしだいに力をもつようになるのは、彼女の働きによるところが大きいのだ。家康の死後は、その遺言によって二代将軍秀忠のプレーンとなっている。いかに家康の信頼が厚かったかがよくわかる。
 一方のお勝は武芸に秀で、関ヶ原の戦いには騎馬武者姿で参戦している。その後、大阪冬の陣や夏の陣にも家康に従軍している。
 家康には質実剛健、実質重視というイメージがあるが、女性も見かけだけではなく、中身をしっかり備えたタイプが好みだったようだ・・・だと

(時代背景からそのような体制を整える必要があった、とも考えられるゾ
で、側室の中には性技に優れた人もいたりして・・・うふっ)
by sikoukairo2 | 2010-06-13 03:59