私の変な質問?

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何度も発禁処分になった好色川柳集?

 古川柳には、男女心理の微妙な機微や、性に関する鋭い洞察が含まれているものが少なくない。そんな川柳集の代表に、江戸時代の風狂句や艶句を集めた「末摘花(すえつむはな)」がある・・・らしい
 初編は安永5(1776)年で、以後、天明3(1783)年、寛永3(1791)年、享和元(1801)年にも編纂され、4編合わせて計2331句がおさめられている。さらに大正時代に、8編まで追加編集されている。
 そのなかにおさめられた、代表的な川柳を紹介すると・・・
・蛤は初手赤貝は夜中なり・・・「蛤」は婚礼で出される定番料理、「赤貝」は女陰のこと。
・かんぞうとたこと出会ッてしんどうし・・・「かんぞう」は男性の名器、「たこ」は女性の名器のこと。「しんどう」は振動のこと。
・間男と亭主抜身と抜身なり・・・間男の「抜身」は男性自身、亭主の「抜身」は刀のこと。
・鼻紙の用意七十六日目・・・当時、産後の75日間はセックスが禁じられていたことから。
 この川柳集、じつは戦前には何度も発禁処分を受けている。内容がワイセツというのがその理由だったが、現在では人間を鋭く冷静にみつめた滑稽文学として高く評価されている・・・だと

(今でも書店でこの川柳集を入手できるのかな? 一度、目を通してみたいよね
残りの記事ネタが少ないので、どうしたものかと思案中だしぃ・・・
書店や古本屋に出向いても目当ての本が見当たらないの
マイブログ危うし・・・)
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by sikoukairo2 | 2011-03-31 04:50 | Comments(0)

南極に観測隊員と同行したエッチな”弁天さま”?

 戦後初の南極越冬観測隊が派遣されたのは、昭和31年11月のことだ。このとき、男性ばかりで長い冬を過ごすのはつらかろうと、ひとりの”弁天さま”が彼らに同行することになった・・・らしい
 どんな弁天さまかというと、要はいまでいうダッチワイフ。
 南極観測隊員のため、デパートの和服売り場でつかわれていたマネキンを改良したもので、局部をゴムとプラスチック製にし、腰やお尻にお湯を入れるスペースを設け、南極用だけに、つかう人が冷たい思いをせずにすむように工夫されていた。さらにご丁寧なことに、局部には陰毛まで施してあった。
 さぞや隊員たちから人気があっただろうと思いきや、じつはまったくつかわれなかった。その理由はというと、「不気味」だったからである。
 弁天さまをつくった業者がつかいやすさを考え、太ももを切ってしまったのだ。太ももから下のない弁天さまは、顔がリアルなだけに何とも気持ち悪い。誰も抱く気が起こらなかったそうである・・・だと

(長期間の禁欲生活を余儀なくされた隊員の性欲処理はどうしていたのだろう?
ソープ嬢が同行していれば、ブスでもモテモテ、大もうけだできたりして・・・
で、世の中にはドーラーなる、高額で精巧に作られた人形をこよなく愛する人種もいるようだ
人形を気持ち悪いと思うのか、傾向してしまうのかは個人の感性かな?
私も、欲求不満ぎみ、この先好い出会いがあることを願っていますぅ)
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by sikoukairo2 | 2011-03-30 03:21 | Comments(0)

ゲイバーが江戸時代にもあった?

 男性にしか興味のない男性、もしくは女性も男性も好きという男性がかようゲイバーは、江戸時代にも存在した。もっとも、現代のゲイバーの従業員が成人なのに対し、江戸時代のそれは12,13歳から、せいぜい17,18歳までという少年だった・・・らしい
 そもそも、そういう少年たちは、江戸時代前期にはやった若衆歌舞伎の役者たちだった。若衆歌舞伎は、少年たちが役者として演じる歌舞伎のことで、それまでの女歌舞伎が幕府によって禁止されたあとに登場したものだ。若衆歌舞伎の役者たちは、舞台が終わったあと、ご贔屓の求めに応じて、夜のお相手もつとめた。
 やがて、役者を辞め、夜のお相手を専業とする者があらわれる。そんな少年たちを集め、お客に斡旋していたのが江戸時代のゲイバーで、当時の言葉でいえば「陰間茶屋」だ。
 陰間茶屋を訪れるお客は、僧侶をはじめ、武士や一般人もいた。有名なのは、江戸の芳町と湯島にあった店。ほかにも、神田、木挽町、さらには大阪の町にも繁盛店があった・・・だと

(女性としての私には、男性に抱かれる男性の気持ちが・・・よくわからないよぅ
現代でいう、ニューハーフが江戸時代にも存在していたってこと?
そのような男性を買う男性をホモやバイというのだろうか?
で、アナルセックスって感じるのかなぁ 下痢中だったら、スカトロプレイになる?)
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by sikoukairo2 | 2011-03-29 03:59 | Comments(0)

オーラルセックスが始まったのはいつ頃?

 アダルトビデオの影響もあってか、最近は素人の女性にも、オーラルセックスに抵抗を感じる人はめっきり少なくなっている。相手の性器に口をつけ、舌でなめ回すこの性技、相手を気持ちよくさせると同時に、「こんなことができるほど、あなたを愛している」という愛情表現にもなる。
 もっとも、かつての日本人は、さほどこの性技を用いてはいなかった?
 戦前の素人女性には、男性器を口でくわえ人はまずいなかったし、男性のほうも、いまでいうクンニリングスをする人は、そうはいなかった・・・らしい
 かつては、女性の陰部を「不浄のもの」とする考え方があり、たとえ女性が望んでも、できれば避けたいと考える男性が多かったのだ。
 それでも、女性のなかには「私を愛しているならなめて」とばかり、舌によるご奉仕を求める人もいた。そんな女性の欲求をかわすため、小さく切ったコンニャクを女性器に当て、ごまかす男性もいたという。
 日本人からオーラルセックスに対する抵抗感が消えたのは、戦後のことである。アメリカ文化が一気に流入するなか、性技術も入ってきて、しだいに浸透してきたのだ。そして、アダルトビデオが決定的に日本人のオーラルセックスへの抵抗感を取り払ったという・・・だと

(現代でも、医者などは雑菌等が口に入るという理由でオーラルセックスを行わない人がいるようだ
でも、性技として相手を喜ばせるには、かなり有効な手段だと思う・・・
で、私はクンニ責めに弱いのかも、頭の中が真っ白のなってしまうほど感じでしまうからね
想像しただけで濡れてしまいそう・・・)
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by sikoukairo2 | 2011-03-28 02:57 | Comments(0)

石川啄木のかなりHなローマ字日記?

 以前、某脚本家が浮気した女性に点数をつけた「春の歩み」という日記をつけていて、妻がこれをマスコミにバラして、大きく報道されたことがある・・・らしい
 その「春の歩み」と同様の日記をつけていたのが、明治の歌人・石川啄木である。彼もまた、妻以外の女性との情事を日記に克明に記していたのだ。花街で何という名前の女郎と楽しんだとか、横で眠っている女の股を触ったなどという様子を細かい描写で綴っている。
 啄木は、その日記をすべてローマ字でつけていた。日記は書きたいが、愛する妻には読まれたくない。そこで、読まれずにすむように、ローマ字で書いたのだ。日記の冒頭には「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか?」「余は妻を愛している。愛しているからこそ、この日記を読ませたくないのだ」と、ローマ字で書く動機について、これもまたローマ字で綴っている。
 もっとも、啄木の”配慮”は、妻には通じなかった。妻は女学校で英語を習っていたため、ローマ字を読むことができた・・・だと

(人に読まれて困る日記なら、綴らなければ読まれないゾ
それでも書きたい人の心理って、何だろう?
私がもしエッチしたことをブログに綴ったら・・・正体がバレたときに、かなり困ることは間違いない
個人情報の公開には限度があるよね!)
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by sikoukairo2 | 2011-03-27 03:34 | Comments(0)

四十八手の発案者は菱川師宣?

 「松葉くずし」「菊一文字」「揚羽本手」といえば、よく知られる体位の四十八手。四十八手というだけに、名前も体位もじつにバラエティー豊かである・・・らしい
 「御所車」「浜千鳥」「宝船」といった風情ある名前の体位もあれば、「抱き地獄」「理非知らず」「碁盤責め」といった「いったい、どんな体位?」と妄想がふくらむようなポーズ名もある。
 そのポーズもじつにバリエーション豊かで、女性が逆立ちするものや、男女が複雑に絡み合ったものなど、かなりの体力や柔軟性を必要とする体位が少なくない。
 この四十八手を考えだしたのは江戸・元禄時代の浮世絵師、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)である。「見返り美人図」など美人画で知られる師宣だが、いっぽうで男女の交わりを描いた春画も数多く描いている。
 それまでも、体位にはさまざまな名称がつけられていたが、その大半は中国やインドから伝わったもので、名前も現地のものがそのままつかわれたり、それを無粋に訳したものだった。
 そこで師宣は、日本独自の体位と名前を考え、「恋の睦言(むつごと)四十八手」「裏四十八手」などを著した。現在まで伝わる四十八手とは違う名称や体位が多いが、ここから体位を四十八手であらわす発想が生まれ、今日に伝わる四十八手に洗練されてきた・・・だと

(一度は試してみたい気もするけど・・・知らない方がよかったと後悔するのかも。
普通のセックスで満足できなくなった人たちが考え出した合体ポーズだったりして・・・)
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by sikoukairo2 | 2011-03-26 05:46 | Comments(0)

江戸の庶民がハマッた大人のオモチャ屋って?

 ”大人のオモチャ”を好む人がいるのは、今も昔も変わりない。江戸時代にも、愛好者のために大人のオモチャを扱う専門店があった・・・らしい
 なかでも有名なのが、江戸・両国の薬研掘にあった「四つ目屋」である。この店では「長命丸」という、男性の勃起時間を長くする薬が売られていた。これがよく効くということで、数ある大人のオモチャ屋のなかでも、とくに有名になったのだ?
 四つ目屋では、ほかに肥後ずいきや張形、春画、各種秘薬なども扱っていた。またカタログには「懐妊せぬ道具用型」というものも載っていて、これは当時のコンドームだろう。現代の大人のオモチャ屋にもひけを取らない品揃えぶりだ・・・
 また、四つ目屋では、商品を買うお客が気まずい思いをしないですむよう、店員を店内に置かなかった。
 お客は店内に展示してある見本をみながら、店の片隅にある小さな窓口に欲しい商品を告げる。すると、奥にいる店員が、窓口から商品を出したり、お金を受け取ったりしていた。入ってから出るまで店員と顔を合わさずにすむ、現在のラブホテルのようなサービスをすでに行っていた・・・だと

(薬品類の効能は本当にあったのかな? 器具類も材質等が気になるところだね
江戸時代にもコスプレがあったのかな? 疑問はつきないゾ
で、震災被害に遭われた方がこのブログを読んだら怒られそうだね
多くの亡くなられた方に・・・合掌)
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by sikoukairo2 | 2011-03-25 04:37 | Comments(0)

近況報告!

 外部パソコンにて、ブログ記事を更新していまましたが・・・
見知らぬ男性に尾行されていることに気が付き、しばらくお休みしていました。
可能な限り、記事更新をしたいと思っています、ご理解くださいませ。

 友人の美多民としばらく連絡が取れなくて心配していたけど・・・
昨日、ケロリとした顔で現れたので、力が抜けてしまったゾ
一瞬固まった後、吹き出すように笑ったら、くすぐり倒された、心配して損した気分。
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by sikoukairo2 | 2011-03-19 07:26 | Comments(0)

明治時代には女学生も立ち小便をしていた?

 「女子学生の立ち小便禁止」・・・そんな内容の記事が、明治41年7月17日の東京日日新聞(後の毎日新聞)に掲載されている。福岡県の女子教育関係者の会議で、風紀粛清のひとつとして、立ち小便を廃止しなければならないといった議論が交わされたという記事だ。ということは、明治時代、福岡県では、女学生が堂々と立ち小便をしていたことになる・・・らしい
 もっとも、女性の立ち小便は、明治時代の福岡の女子学生にかぎった話ではない。江戸時代、京の町や田舎では、当たり前のようにみかける光景だった。すでに江戸では、女性は座って小便するのが当たり前になっていたので、江戸の人が京で女性が立ち小便する姿をみて驚いたという記録が数多く残っている。
 ではなぜ、女性も立ち小便をしたかというと、一説には尿をためるためだったという。
 尿は農家にとって貴重な肥料になるので、流してしまうのはもったいない。しかし、小便桶に腰を下ろすのは不潔ということで、女性も立って小便するようになったようだ。
 それが、明治時代に入って廃れたのは、座ってする江戸の習慣がしだいに全国に広がったからである。
 また、女性が立ち小便をするときには、男性と違って、着物をめくりお尻を丸出しにしなければならない。公衆の面前でお尻を丸出しにするのは、文明開化の時代の淑女にふさわしくないと思われるようになったのだろう・・・だと

(私は幼いころ、立ち小便を試みたことがある。結果は、尿が片方の足を伝って流れ落ちた・・・
こんな経験は、私だけだろうか? イメージでは男性と同じように放物線を描くものと思っていたから・・・
現在では座るというよりも、腰掛けるスタイルが主流だよね、シャワートイレって快感!)
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by sikoukairo2 | 2011-03-05 07:14 | Comments(0)

晩婚の後、セックスマシーンとなった小林一茶?

 年をとると、多くの人は、若いころよりも性欲が薄れていくものだ。セックスの回数も、かつては、一日に何度もできたのに、年に数回がせいぜいとういことになる人が多い。そんな人にとって驚嘆すべき人物だったのが、江戸後期の俳人・小林一茶である・・・らしい
 一茶の結婚はひじょうに遅く、52歳になって初めて28歳になる妻きくをめとっている。そして一茶は、きくとのセックス回数について、細かく日記にしたためたのだ。それによると、50過ぎとはとても思えない性豪ぶりが伝わってくる。
 たとえば、結婚した翌年の文化13(1816)年8月には、16日に「晴 三交」、17日に「晴 墓詣 夜 三交」、18日に「晴 夜 三交」、19日に「晴 三交」、20日に「晴 三交」とある。つまり即日3回もセックスをしているのだ。ほかの日には、1日5回もしている日があるほどだ。
 さらに、薬草の知識のあった一茶は、強壮剤になるイカリソウの根を自ら採って飲んだり、友人に黄精という薬が欲しいと頼んだりもしている。
 一茶は、3歳で母親と死に別れ、その後、継母との折り合いが悪く、家庭的には恵まれない人生を送った人物だ。そんな一茶にとって、年をとってから迎えた妻は大変に愛おしく、せっせと精力剤を飲んでは、ことに励んでいたようだ・・・だと

(事実だとすれば、男性は何歳くらいまで、日に数回のセックスができるのだろう?
むろん個人差はあるだろうけど、セックスライフを思えば、女性にも関係のある話しだよ
だからといって、多すぎて身体がもたないのも困るけど・・・)
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by sikoukairo2 | 2011-03-04 05:19 | Comments(0)